発達障害グレーゾーンと愛する犬

発達障害のグレーゾーンと鬱病診断され、人生に悩み就職をやり直すことに

人それぞれ

鬱との闘病記や、発達障害との付き合い方など、ノウハウ本が次々と出版されている。

なるほどな、と思うものもあれば、私には向かないな、と思うものもある。

それでいいんだと思う。

 

今の環境にいることが苦しくなったら、全部捨ててしまっていい。命より大事なものはない。

 

そういう投稿もツイッターでよく見かける。その通りだと思う。

けれど一方で、「私はきっと投げ出すことはできないだろうな」とも頭の隅で考えるのだ。

実際、今まで苦しくなったことから逃げたことはある。モラハラの激しい上司のいたバイト先は、相手に止められる前に辞めた。

実際、当時の私の選択が間違っていたとは思わない。

けれど、そのあと「私は逃げ出したんだ」という罪悪感…のような、自己否定の気持ちが事あるごとに湧き上がってくるのだ。

こういう負の思考回路が決して良いものではないことは理解している。けれど、頭で理解してても、私の性格上、「考えることをやめる」ことがどうしてもできないのだ。一人でいる瞬間。夜寝る前の時間。何も考えたくないのに、自分の「できなかったこと」ばかりが脳裏をよぎりだす。

だから、きっと私のような人間は逃げれば逃げるだけ、どんどん自分を責めて、追い詰めて、最期には自分を失ってしまうのだと思う。相変わらず、「何故生き続けなければならないのか」の答えもでないままだ。

ただ、この性格を持って生まれたことで、良かったと思う瞬間もある。なんだかんだ、しぶとい性格であるということだ。ギリギリまで何とかしようと考え続ける。少しでも自分にとって良い環境を生み出せるようにもがき続けられる。一度手放したら、なかなか取り戻すのが難しいものーー例えば、社会的な地位や家族ーーを、手放してしまう前に踏みとどまれる。

私のような人間は、「振り切れる」ことができない代わりに、一生苦しみながら、それでも「まあまあ」の均衡点の上を、均衡が崩れてしまうその時まで生きていくのだろう。

 

周囲の友人たちとの関係を一掃したいと思うことも良くあるが、彼らと話すことで学ぶこともあると思う私もいる。自分とは全く違う思考で生きている人と、「一緒にいると辛いから」といって関わりを絶ってしまうと、私自身の思考がどんどん傾き、閉鎖的な人間になってしまうのではないかという危機感もある。

 

どんな苦しい状況も、捉え方次第で学べることがあると考えてしまうことこそが、私を追い込み苦しめ、それでも成長させているのだと感じるから、今はまだ、ここから全てを捨てて逃げ出すことができないのだ。

 

少なくとも、私はこの一年公務員試験を受け、発達障害に苦しむ人々とも関わり、私自身の発達障害や鬱と向き合ったことで、私のようなタイプは、一つの組織の中で人間関係に悩みながら働き続けるよりも、資格を取得して、場所を問わずに力を発揮できる環境を作っていく方が向いているのだと理解できた。

多くの人が「とりあえず取っておくか」と思い取得しておく資格一つとっても、「自分になんのメリットがあるのか」心底理解できないと頑張れないのが私だ。一つ一つのことを学ぶのに、理屈を求めてしまうのが私だ。そんな私を、私はずっと認められなかった。

けれど、最近ようやく、本当の私を受け入れられるようになった。失敗しなければ学べない。それが私なのだ。

認めるのは苦しいけれど、この特徴と向き合わなければ、私は前には進めない。

そう思えるようになったのは、きっと、自分と向き合い続けてきたからだと信じたい。

私はずっと霧の中にいる気がするが、それでもぼんやりと見える光のようなものを追い続けて、とりあえずは生きていこうと思う。

 

とはいえ、これはやっぱり「私」の話。これが全ての人に正しい答えだとは思わないし、私も必要だと思ったら、逃げ出すという選択肢をきちんと持つことを忘れるべきではない。より多くの人が、いろんな人の声を聞き、それぞれに合った、自分が取るべき最善の行動を選べる。そんな社会に少しでも貢献できればいいと思って、この投稿をしました。