性とはいつ決まるのか
先日ツイッターでふと呟いたことが自分の中でまた気になりだしたので、つらつらと。
性(gender)っていつ決まるものでしょうか?
最近欧米ではLGBTにQ、つまりQuestion という新たな分類が加わったそうです。
つまり、「自分の性がわからない人」。
私ももしかしたらQなのかもしれないな、と思います。
身体は女として生まれ、二次性徴を迎えて特に自分の性について疑問を持つこともなく「身体が女だから、女なのかな?」程度の認識で生きてきました。
特に困ることもありません。
でも、私は本当に女なのでしょうか。
よく性的マイノリティの人が、「昔から自分の性に違和感があった」「だんだんと二次性徴で変わっていく自分の体が気持ち悪かった」「最初に恋愛感情が芽生えたのが同性だった」と取材などに答えています。
ふむふむ、なるほどそういうものか。
…と、納得して終わることを頭が許してくれません。
「あれ、私自分が女だって自覚したことあるか?」
私は恋愛感情がよくわかりません。いや、知っているはずではあります。4年間好きだった男性もいて、告白もしました。
でもそれは、「異性というカテゴリで最も好感を持てた相手」という存在でした。
同性の親友に対して抱いている親愛と何が違うのか、よくわからない。
性愛が湧くかどうかを判断基準にする人もいますが、プラトニックな愛も恋愛感情と言えるはずです。
それに、女子校育ちの影響なのかわかりませんが、同性に身体を触られることに全く抵抗もありません。
(最近はノーマルの人もレズ風俗を使うようになってきているとも聞きますし、意外と当てはまる女性も多いかもしれません。)
嫉妬という感情も、親友が自分以外の人間とばかり仲良くして、自分から離れていったら、性別に関わらず湧きます。
…恋愛ってなんなんでしょうか。
まあ、ここまでなら「バイなんじゃね?」で話は終わるのですが、
というか一時期は自分がバイなのかもしれないと思っていました。
私が大学時代に所属していたサークルは、男女仲が結構よく、友達として何人かで、子どものように普通に遊ぶことも多くありました。(ある種のリア充サークルだったのかも…?そんなウェイウェイはしてなかったけど…)
私はもともと大勢で遊ぶよりも少人数で過ごすことが好きなので、女友達とも二人で遊ぶことが好きです。
だから本当は性別なんか関係なく、一緒にいて楽しい人に声をかけ、友達として遊びたかった。
でも、遊びに誘いたい相手の性別が男の場合、色々とややこしい問題が発生します。他意がなくても、相手に勘ぐられる可能性もありますし、周囲からも誤解される危険が出てきてしまう。
だから、他にも数人に声をかけ、誤解されないよう色々と気を使わなければなりません。
ああ、なんて面倒臭い。
…自分の性が男だったら、彼らと遊びたいときにこんな面倒なことを考えなくて良かったのだろうか。
ふと、そんな考えがよぎってから、「ああ、それもアリだな」と抵抗なく受け入れられました。
SFみたいな話ですけど、例えば、ある日突然謎の組織によって、私の身体だけが男になったとして、
…あ、別にそれもアリだわ
と思う、そんな感じです。
となると、そもそも私のジェンダーはなんなのか?わからなくなり、行き着いた答えが前述のQuestionというわけで。
というか、生まれてから一度も他人と関わったことがない人間が、自分を「男だ」「女だ」と身体の性(sex)以外で認識することはあるのだろうか。性的マイノリティの人が、自分の特徴を自覚するのは一体いつ、何が原因なのか、そんなことも気になるわけで。
(彼らの感情を否定しているのではなく、とにかく仕組みが知りたいのです。)
自分は女で、恋愛対象は男。と決めてしまうのは簡単ですが、そうじゃない可能性を考えてみるのは悪いことでしょうか?
これまでこういう話をすると、「色々とぐちゃぐちゃ面倒臭く考えすぎ」と言われることも何度もありました。ですが、現代の性的マイノリティに関する問題やテーマの根本と何か関わりがあるような気がしてなりません。
私が発達障害の「グレーゾーン」だからこそ、「どちらとも言えない」立場というものに強く関心が惹かれるのかもしれません。
かつて言語学を学んでいた人間として、言葉による定義(「発達障害」や「LGBTQ」など)に救われたところと、そういった定義つけによってラベリングされ、生きづらくなったところと、両方を感じます。
言葉というものは、考え事をする際に思考を深めるツールとして重要ですが、言葉の持つ上部の意味だけにとらわれると、思考停止にもつながってしまう、そんな危険もはらんでいます。
身体の性(sex)は決定されていたとしても、心の性(gender)は男と女だけではない。もっと別のものがあるのかもしれない。言葉にとらわれず、自分の心、他人の心に向き合いたい。そんな感情が何とは無しにせり上がってくるのでした。